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トレンドワード化し、誤解されてしまった「ノームコア」とは?アルケーが考える本質的なノームコア
「ノームコア」というファッション用語は日本でも2014年頃から広く話題となったので、その言葉をご存じの方も多いでしょう。「ノームコア=シンプルなファッションスタイル」というように理解されている方も多いかもしれませんが、2013年頃、アメリカのニューヨークを中心に定義づけられ、ファッションでいえば「敢えてシンプルなものを”こだわりを持って”選択すること」という表現が適していると考えられます。
ノームコアの代表的なアイコン的人物として一番に挙げられるのはスティーブ・ジョブスです。彼はイッセイミヤケの黒のタートルネックにリーバイス501、そして足元にはニューバランスの991と992モデルを合わせていたのは周知の事実。これは毎日の「服を決める」際の小さな決断の積み重ねが、日々のパフォーマンスに支障をきたすと考えたうえで生まれたスタイルです。
しかし、この概念は、実はある特定のファッションスタイルを指し示す単純な概念ではなく、人が外部の世界と接するときの態度(アティテュード)に関する深遠な思想を秘めた根源的な概念であるのです。
「ノームコア(NORMCORE)」は、「ノーマル(normal=「普通」)」と「ハードコア(hardcore=「徹底的に核心を突き詰めた」)」を合成した造語であり、単純に訳せば「徹底的に普通な」という意味になります。ですが、「徹底的に普通である」ということは、つまり、どういう意味なのでしょうか。
ノームコアの起源
ノームコアという言葉が本当に意味していることとは、いったい何でしょうか。そして、ノームコアという言葉は、いつ、どのようにして誕生したのでしょうか。こうした問いに対する答えを探し求めるということは、ひょっとすると、無意味な試みなのかもしれません。「ノームコアとはこういうものだ」と定義しようと試みれば試みるほど、ノームコアという概念は、霧の向こうへと逃げ去ってしまうのかもしれません。
また、ノームコアという言葉が誕生する遥か以前から、ノームコアという言葉が表現しようとしている態度(アティテュード)を持って生きていた人が、きっと、いたはずです。それこそ、原始の時代から。そうだとするならば、「起源」を探し求めることもまた、無意味な試みなのかもしれません。
それでも、ノームコアという言葉は、私達を魅了してやみません。その言葉が指し示している価値を、もっと深く知りたい。そう願う人はたくさんいるはずです。いよいよ2020年代が到来しようとしている現代社会において、「もっと自分らしく生きていく」ためのヒントが、そこに秘められているように感じられるからでしょう。
「ノームコア(NORMCORE)」という言葉について、その言葉の意味するところを本格的に論じた最初の論考は、ニューヨークを拠点に活動するトレンド予測集団「K-HOLE」とブラジルの消費者文化調査機関「BOX1824」が2013年10月に共同で発表した「YOUTH MODE:A REPORT ON FREEDOM(「若くあるということ:自由に関する報告」)」というレポートです。
K-HOLEは、世界ではじめて、「ノームコア(NORMCORE)」という言葉のもつ深い意味合い、つまり、ファッションスタイルの背後にある考え方(思想)、そして、「外の世界との向き合い方=態度(アティテュード)」を、詩的な文章を駆使して定義付けてみせたのです。
トレンド予測集団「K-HOLE」
「ノームコア」が意味するもの
現代においては、もはや、年齢で人を分類するという行為が意味をなさなくなってきています。現代では、年齢よりもむしろ、「最新のテクノロジーを使いこなせているかどうか」で、古い人間か新しい人間かを区別されることのほうが一般的であるようです。そして何より、同じ年齢の人間でも、皆、まったく異なる考え方・生き方をしているというのが、現代の社会の「普通」のありようなのです。ところが、社会は、いまだに、「これくらいの年齢の(世代の)人間であれば、こういう考え方・生き方をするものだ」という枠組を強制してきます。性別についても同様です。男性であればこう、女性であればこう、というような典型的な枠組が用意されているわけです。
ノームコアは、そうした枠組から自由であることを目指します。10代だからこう、20代だからこう、30代だからこう、40代だからこう、というようなことではなく、そうした枠組を越えていくことを指向します。それは決して、「いつまでも若くありたい」というような思いから生まれる行動ではありません。そうではなく、「ステレオタイプ(世の中にとっての「普通」)を越えて、本当にいいもの、自分自身のスタイルに沿うもの(自分にとっての「普通」)を追求していこう」というスタンスが根っこにあるのです。
こうしたスタンスを貫くためには、自分で「これが心地よい」と思うものを選択しうるだけの選択眼と、その選択眼に対する自信――すなわち精神性の成熟――が、求められます。精神的に成熟してあるということ、それはつまり、「大人である」ということでしょう。この場合、「若くある」ということは「大人である」ということでもあり、「大人である」ということは「若くある」ということでもあるのです。こうして、年齢という枠組から、人は解放されていきます。
年齢・性別といったデモグラフィックなグルーピングに基づく枠組だけではありません。世の中には、様々な枠組が溢れています。歴史的に、高度消費社会を通じて、人間は、「個性的であれ」「人と違う差異を創り出せ」「誰でもない特別な自分自身であれ」という社会的圧力を受け続け、必死で「人と異なる」服装を探し求め「自分らしいスタイル」を築き上げることを強いられてきました。しかし、どれだけ「自分らしいスタイル」を築き上げようとしても、結局は、「~~系ファッションの人」「こういう服装を好む人達のグループ」というように勝手にひとくくりにされてしまったり、果ては、「自分らしいスタイルを築き上げようとして必死になっている人達」というマスグループにまとめあげられてしまうわけです。人間は、ファッションによって、「自分は他とは違う」という排他的な自己主張を行うことを強いられ続けてきたわけですが、その結果、社会は、さまざまなタイプのグループに分断されてきたとも言えます。こうして、社会に「理解不可能性」と「孤立」が絶望的なまでに広がりきってしまったのが2000年代初頭の社会状況であったと言えるでしょう。
そうした「個性的であれ」という排他的な競争の世界から飛び出して、「あるがままの素の自分のままでいる」ということが自分らしくあるための一番の方法なのだというポイントに気が付いた人たちが、2000年代初頭以降、ノームコアの世界に一斉にシフトを始めたのです。
つまり、「ステレオタイプ、ルール、模範、典型、枠組、カテゴリーを超越していく」ということが、ノームコアの本質なのです。ただただ、自分らしく、「自分にとっての普通(ノーマル)」を徹底的に(ハードコアに)探し求めていく態度こそが、ノームコアファッションの本質なのです。
他人からどう見られたいか、ではなくて、自分のために着る。自分が心地よいと感じるものを着る。誰かの真似をするなんて論外だし、自分をモデルとして皆に真似をしてほしいなんて思いもしない。そうした、「人に迎合しないスタイル」がノームコアであって、「みんなと一緒」がノームコア、ではないのです。
ファッションで強く自己主張しないということは、禅の精神にも通底したものがあります。研ぎ澄まされた静けさは、強さであり、優しさでもあります。ノームコアは、他者を拒絶しません。そこには、包容力や寛容性があります。どんな相手とでも、コミュニケーション(相互理解)の可能性を諦めない、そんな、「いかなる状況にも対処しよう」という強さや優しさに満ち溢れた態度(アティテュード)が、ノームコアです。ノームコアは、野心的な自己主張ではなく、他者とのつながりの機会を追求するものです。
ノームコアは、ベーシックスタイル・オーセンティックスタイルとも異なります。ベーシックやオーセンティックには、「定番」「王道」としての暗黙のルールがあります。細部に渡るファッションコードにがんじがらめに縛られているのです。ですから、「これを着ておけば定番だから安心だ」という発想も、ノームコアとは相反するものなのです。ノームコアには、「正解」はないのです。
ノームコアは、シンプルファッション・ミニマルスタイルとも異なります。シンプルファッション・ミニマルスタイルも、ひとつのファッションスタイルとして「典型化」されてしまっています。型が決まってしまっているのです。
例えば、ファッションで言うところのミニマルスタイルというのは「必要最小限」であることを指し、その多くは無地でベーシックな色、シルエットのアイテムで組んだムダな装飾を限りなく省いたスタイリングのこと。
これに対してノームコアは、常に、ひとつひとつのものを自分自身の目で吟味し、いかなる状況においても最適に対応できる究極のファッションを徹底的に追求し続けるという態度(アティテュード)であって、ひとつの型(スタイル、見た目)でわかりやすくまとめられるようなものではないのです。
ノームコアの今後
トレンドワード化し、誤解されてしまった「ノームコア」
K-HOLEのレポートは米国で注目されマスメディアで話題になり、その結果、ノームコアという言葉はアメリカから世界中に広がっていきましたが(日本でも、2014年頃から話題になり、広がっていきました)、残念なことに、広がり解説されていく過程で、ノームコアという言葉の持つ意味合いの深さは希釈化されていってしまいました。「要するに、気取らない、シンプルな、普通のファッションのことを、ノームコアと呼ぶのだ」というような、表層的な解釈だけが一人歩きしていってしまったのです。
ノームコアは、ケンブリッジ・ディクショナリーでは「a very simple and traditional way of dressing considered as a particular style in fashion design(典型的な、よくあるファッションデザインのスタイルで身を包む、非常にシンプルで、伝統的なスタイル)」と定義されています。dictionary.comでは、「a fashion style or way of dressing characterized by ordinary, plain clothing with no designer names, often a reaction against trendy fashion.(デザイナー名の入っていない、普通の、プレーンな服装。流行のファッションスタイルへの反発として取られることが多いスタイル)」と定義されています。残念なことです。
日本では、とりわけ、ゼロ年代(2000年代)のはじまりと同時に爆発的に広がっていったファストファッションのムーブメントに連続するような形で2010年代にノームコアファッションが広がっていったという背景もあり、ファストファッションと混同されるような形で、「ノーブランドのシンプルな色の安いアウターやアクセサリーを、テイストを合わせみんなと同じように着ることがノームコアだ」というような解釈が広がっていってしまったのです。ノームコア=「主張のない」「没個性な」「今どきの若者らしい」「安上がりの」ファッションスタイル、カラーという誤解をもった人の数は少なくありません。そして、「ノームコアファッションのブームはもう終わった」というような声すら聞かれたりするほどです。ノームコアは特定のジャンルやファッションスタイルを指す言葉ではなく、従って、一過性の人気やトレンドとして消えていくようなものではないにも関わらず、です。
本物の「ノームコア」を求める声は強まっている
ノームコアという態度(アティテュード)の持つ魅力は、本来、もっと深い部分にあるのです。本物のノームコア、つまり、文字通り「究極の(ハードコアな)普通(ノーマル)を追求し続けていくこと」という意味合いを理解でき、その思想を体現した振る舞いができる人というのは、決して多くはないのです。
本物のノームコアを知っている人は、ただただ自分の信じる道を歩き、ただただ「これぞノームコアだ」と思うものを自然体で選び取って、自然体で身に纏うことができています。そして、明らかに独特のオーラを放って、輝いているのです。
K-HOLEのレポートから引用するならば、”It’s a delicate balance between FOMO(“fear of missing out”) and DGAF(“Don’t Give A Fuck”)”、つまり、日本語にすると、「「常にみんなの動向をチェックしておかないと空気を見失ってしまいそうで怖い=FOMO」でもなく、「なめんなよ(他の人間がどう思おうが関係ないね)=DGAF」でもない、その間のギリギリのバランスなのです。
「みんなと同じであれば安心だ」という他者同化でもない。「他人なんて関係ないから自分の個性を好き勝手追求していくんだ」という排他的・攻撃的な自己満足でもない。「自分が本当にいいと思えるものを着る。野心的に自己主張しない。そうして、胸襟を開いて、いろんな人とオープンに交流していく」。そんな、大人の包容力と寛容性に裏打ちされた態度(アティテュード)こそが、ノームコアの本質と言えます。
ノームコアを極めていく、ということは、実は簡単なことではありません。だからこそ奥深く、極めていく過程が味わい深いものであるとも言えるでしょう。大人だけが味わえる極上の愉しみであるとも言えます。
ノームコアを極めていく、ということは、実は簡単なことではないのです。だからこそ奥深く、極めていく過程が味わい深いものであるとも言えるでしょう。大人だけが味わえる極上の愉しみであるとも言えます。
時代は令和の世になりましたが、インターネットの世界にもメディアの世界にもフェイクとヘイトが溢れ、息苦しさは日に日に増してきているように感じられます。そんな、相互監視圧力と同調圧力が高まるばかりの抑圧的な社会から飛び出して「自由に生きたい」と願う人たちが、年齢問わず、以前よりも強く、本物のノームコアを求めるようになってきています。これからも、その流れは加速していくことでしょう。
本物のノームコアを求める人へ
ノームコアを追求していくためには
まずもって、自分自身の目で「本物かどうか」、つまり、「上質かどうか」を見極めていく態度を養うことが重要です。ノームコアには、型もなければ、正解もありません。表層のイメージではなくて、そのものがもつ実質的な(根源的な)価値を見抜いていこうとする態度を養っていくことが大切です。
名品が名品である所以
ニューバランス- M990 v5
定番でありながら現代性をも取り込んだデザインと言える、ニューバランスのスニーカー、M990 v5をおすすめアイテムとしてご紹介します。これを履いておけば安心、というような単純なデザインではありません。しかしながら、目立つことだけを狙った奇抜なデザインというわけでももちろんありません。ニューバランスM990 v5のデザイン魅力は、優れた機能性を追求していった結果生まれた自然な美しさにあると言えるでしょう。
あの有名なスティーブ・ジョブス氏が足元に愛用していたのもまた「ニューバランス」の991。そこへイッセイミヤケのタートルネックニットとリーバイスのジーンズ501を合わせたあまりにも有名なスタイリングは、こだわりのあるシンプルさを持ち合わせたノームコアの代表格として相応しいでしょう。
arkhē(アルケー)のTシャツ
ただ単に「上質な素材を使って」「職人が丁寧に作った」Tシャツであれば、世界中を探せば他にも存在するのかもしれません。しかしながら、我々アルケーのTシャツは、日本の気候風土や日本人の体形にあわせて徹底的に調整して製造されたものです。
どのような環境や状況で着られるか、によって、最適な「普通」のありかたは異なるものです。アルケーのTシャツは、シンプルという言葉で表現するのが相応しくないほどの上質さ、そして気品を漂わせている一品です。カジュアルからラグジュアリーまでさまざまなシチュエーションに対応できる適応能力を備えた万能の名品と言えるでしょう。もちろん、着ていて外から見える場所にブランド名が印字されているわけではないですが、「万物の根源」という意味を持つ「arkhe」という言葉をブランド名としている製造元の徹底的なこだわりが、服のたたずまいから静かに滲み出ています。
一度、現物を手にとって、体感ください。
英国サンスペルのボクサーショーツ
アルケーのTシャツには、タイト&スキニーでもなくオーバーサイズでもない、ジャストサイズのシルエットのパンツをおすすめします。それにしっかりとした靴を合わせる。他に何を足す必要があるでしょう。いえ、もはや、こうして仕上がった完璧なスタイルに、これ以上余計なものを足していく必要などないでしょう。
むしろ、こだわりたいのは、目に見えないところではありながら、実際のところ着こなしや快適さに最も影響を与えるもの、「下着」ではないでしょうか。男性用の下着というと、ブランド名がデカデカと書かれた派手な下着か、機能性重視のシンプルな汎用品のどちらかしかなく、上質な本物のアイテムがなかなか見つからなくて困っている、という方も多いのではないでしょうか。
イギリスで1800年代からアンダーウェアーを生産している老舗メーカー、サンスペルのボクサーショーツは、上質な素材を用いるのはもちろんのこと、快適さを追求するため、縫製にも徹底的にこだわり抜いて製造されています。特に、良質なコットンジャージー素材を使用した「QUALITY82:ジャージー」のシリーズは、心地よさはもちろんのこと、丈夫さにもメンズファッションにおいて定評があります。上質なものは、時代を超えるものです。ノームコアファッションを追求するなら、ぜひ、下着にもこだわってみてはいかがでしょうか。
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